「建築家・山田守の住宅」展と「草間彌生・我が永遠の魂」展 |
16日は青山周辺で開催中の「建築家・山田守の住宅」展と「草間彌生・我が永遠の魂」展をハシゴしました。
山田邸は佐々木葉さんと申し合わせて一緒に見たのですが、佐々木さんは最近長野県伊那谷の宮田村景観計画をまとめ、最近印刷が上がってきたばかりでした。それを知った伊那谷出身である僕が1冊欲しいなあ・・と発信していたこともあり、この日出来たての1冊を持ってきてくれました。このすばらしい報告書に関してはまた日を改めて書きます。
午後は用事があるという佐々木さんと別れて国立新美術館の「草間彌生・我が永遠の魂」展に向かいました。これまで草間さんの作品にはあまり近づかないようにしていましたが、たまたま目にした芸術新潮4月号に掲載されていた、1961年5月号に彼女が寄せた「女一人国際画壇をゆく」という文章と、当時の白黒写真の中にいる彼女の顔つきが、これは見ておかなくてはいけないと僕に直感させました。展覧会ではああでもないこうでもないと感想を言い合いながら見るのが楽しいのでたいていは仲間を誘って行くことが多いのですが、今回は1人で体感してこようと足を運びました。
で、どうだったか?展覧会のタイトルにもなっている近作「我が永遠の魂」が大空間に並び大勢の来場者がお気に入りの作品の前で記念写真を撮るという、こんなにもカジュアルでこんなにも楽しげな展覧会風景を見たのは初めてかもしれません。喜び、悲しみ、希望、死など様々なタイトルがつけられ草間さん渾身の近作は大いに目を魅きましたが、しかし、僕の目には、草間さんがニューヨークに渡った直後の1959~61年頃の極めて初期の頃の作品が間違いなく突出していました。草間彌生を世界中に知らしめた記念碑的なシリーズです。その実物を見ることができただけで十分だったと言っても過言ではありません。それは抽象表現主義の画面いっぱいに動き回るエモーショナルな力の表現とは違い、平たんで静かな画面ですが、しかし目を近づけると無数の小さな粒がうごめいているのです。一見気持ちの良い草原が描かれている様で、よく見るとそこには地表面に存在する全ての微生物、更に細胞までもが1つ1つ丹念に描き込まれていると言った風な、遠目には静かでも近目では決して静かではない作品です。単身ニューヨークに渡り、もう後が無い緊迫した状況の中で製作された彼女の状況も一緒になって、見るものの細胞をざわめかせるのかもしれません。
表現の力とは一体なんなのでしょう?建築も絵画も共に、それを所有する人のためだけではなく、同じ様な仕事に携わる人にどれだけ勇気とか希望を伝えられるか?そこに尽きるだろうと思います。